Web3時代のつよつよビジネスパーソンを目指すブログ

Web3という大きな波に会社員エンジニアはどう対峙すべきか。クリプト、NFT、DeFi、メタバース…多様な情報に触れ思考したことを発信します。どこにでもいる会社員だからこその、日々の気づき、ビジネスTipsも発信します。

デジタル庁には希望を持って良い。ただ傍観するのでなく参加していくべきだ~GaaS Study #1感想~

平井大臣も映像で出演されていたイベントの感想です。

GaaS Study #1 ー平井大臣に聞く、デジタル庁が解くべき課題とITエンジニアの役割
youtu.be


得た所感は大きく3つあります。
全体としては、

デジタル庁には希望を持って良い。ただ傍観するのでなく参加していくべきだ

と感じた。

平井大臣の志はぶれていない。希望を持って良いと感じた

平井大臣のYoutubeチャンネルはかれこれ半年以上見ているのかな笑
言っていることと行動がぶれていないな、ということを改めて感じます。

作ってモノを出したら終わり、の悪しき慣習から、国民に「サービス」を
提供するようにする。
1億2500万人がお客として、サービスを提供していくのだ。
ここが平井大臣の言葉で一番はっとした部分でしょうか。

COCOAの件や、今まさにワクチン予約システムの不備でどよめいています。
現時点では、国が関わるデジタルのレベルはこんなものだ、という現実はありつつも、
目指すところにはとても賛同できました。

平井大臣の下で動く官僚の人たちは、なんだか楽しそうだ

デジタル庁創設に向けて中心的に動いている、お二人の方が出演なさっていた。
所感としては、なんだが自発的に、とても楽しそうに仕事をしているんだろうな、
ということが伝わってきた。

30代前後かな?デジタルのこともしっかりエンジニアたちにキャッチアップ、
どころか率いていくようなリーダーシップを、とても期待しています。
なんとなく、エンジニアのことも理解していろいろと動きやすくしてくれそうな、
そんな印象を受けた。
(あくまで、講演の中から受ける印象論ではありますが、
感覚的に協力したくなるような雰囲気があるか、って大事と思う。)

大手ITゼネコンからの脱却を本気で感じた

そして、イベントにはいわゆる大手ITゼネコン
姿はない。
スターアップ企業が多い印象の、CTO協会の若き才能あふれた
方々がパネリストとして並んでいた。

このことだけでも、ITゼネコンへの丸投げ発注、からの
多重下請け構造から脱却するとう意思を感じます。
デジタル庁の民間採用にもCTO協会の人たちが関わっているというし。

システム保守で安定して公共システムから収益を得ていたITベンダは、
本当に実力が伴っていない限り、政府、自治体のシステムからは弾き出される
未来が、すぐそこに来ているようです。

最後に

今現在は、縦割りで、イけてないシステムが溢れているが、
平井大臣の意思が広く、拡散していけば、きっと日本はバージョンアップできる
だろうという希望を感じた。

そして、一エンジニアとして、傍観するでなく、
チャンスがあれば参加しよう、自分ごととして国のデジタルを
より良いものにしていこう、と意思を持つべきと思った。

勉強する時間は仕事でなく自己投資と捉える、そうある人とそうでない人の差は開いていく

勉強することって、
たとえ会社に指示された内容だとしても
自己投資と捉えるべきと思うのです。

業務時間内でやってもOK、すなわち給料がもらえるなら、
それは極めてラッキーな状況と捉える。

基本的には、自分の時間、お金を投資して、将来の自分の価値にしていく。
それ自体は、給料もらえなくたって当たり前にやるよ、という人でありたい。

会社のための勉強、と考えてしまうと給料が出る時間にしかやらなくなる

目的設定の違いで、自分のモチベーションも大きく変わってくるのだと思います。

会社のための勉強:会社に時間を拘束されているに等しいのだから、給料はもらえるよね
自分のための勉強:直近、会社にメリットをもたらすことにもつながるけども、
将来の自分の価値を高めるためにやっている活動。自分の時間、お金を投資することは当然。


昔の自分もそうでしたけど、
勉強時間は給料出る時間にしかとらないし
参考書買うのにも、「これ補助出るんですよね?」みたいな考えだった。

これは同僚の例だけど、情報処理技術者試験を受けに行く日は、なんで給料でないんだろう?
と言っている人もいたな。
目的が会社のため、となっているとこういう考えになるんだろう。

投資の考えも、自分のマインドが変わったきっかけかもしれない

「自己投資」をすることで、自分という資産が育っていく。
知識も、複利のように増えていくし、
得た資格は、自分の価値の一つの証明になる。

積み立て投資をはじめたことで、自分の価値にも躊躇なく
自己投資できるようになった気がします。

まとめ

給料もらって勉強できるのはラッキーすぎる時間。
自分の余暇時間だろうと、きちんと長期のメリット考えて勉強には投資できる人でありたい。

もう、マスメディアに価値ある情報を求めてはいけないのかもしれない

結論、マスメディア(広告収入を得ている
無料のWEBニュースをイメージしています)
の情報の質には、もう期待しても
改善しないだろう、という思い。

WEBニュースを発信する側のモチベーションは、閲覧数に振り切っているのでは

こんな投稿が、Twitter
目につきました。
news.yahoo.co.jp


ワクチン接種後に死亡した人が出た、
というニュース。
様々な方がリアクションされているように、
ワクチンと死亡との因果関係は不明です。
しかも、たった一人の死亡例を
取り上げているに過ぎません。

不安を煽ることを狙った記事と感じました。
不安を煽り、拡散され、そして
ニュース発信元的にはページビューが
稼げる。
こういったビジネスになってしまっている。

情報の質を求めたところでビジネスが変わらなければ、意味がない。

統計的な根拠も薄いよな、と思い、
自分なりにこんな統計リテラシが報道で
当たり前になったら良いのにな、
という思いを投稿しました。

しかし、マスメディアは、
決して質の高い情報を出す能力がない
わけではないと思うのです。
PVを取るためにどんな記事を書くべきか
というのは、きっと相当にデータ分析されて
いるのではと思います。
それに、お金を出して外部の有識者
正確な見解をもらうことなんて全然できますよね。

それなのに煽り、拡散を最優先した記事が多いのは、
やはりビジネスの構造上仕方ないのではと思うのです。

無料の記事で、PVに伴って収益が上がる以上、
いかに大衆の目を引き付けるかに集中した方が
ビジネスとしては正解かもしれません。

やっぱり、これからは価値ある情報は有料になっていくはず

というわけで、情報の質を求める層は、
どんどん有料のメディアに流れていく。
そしてマスメディアはゴシップメディアに
成り下がるのかもしれません。
もはや、すでにそういう時代になっている
という気もします。

自分は正しくて価値のある情報を求め、
きちんと対価を払える人でありたい。
また、リテラシの低い大衆から巻き上げるような
ビジネスの考え方には、迎合したくないな、とも思います。

さいごに

私のこの発信も、結局は一つの記事だけから考えて書いています。
サンプル数1からものを言っているわけですね。
これでは、マスメディアの情報の質が低いことは、統計的に証明することはとてもできない・・

書きながら、まだまだ私もリテラシを上げねばと思いました。
この発信は、あくまで個人の感想にすぎません。

「暇そうだから」というニュアンスは人に絶対伝えてはいけない

結論、
人に指示やお願いをする時に、「暇そうだから」「手が空いてそうだから」
「時間に余裕あるよね?」的なニュアンスを伝えてはいけない、という気づき。

言われた方の気持ちで考える

(ここでは、仕事場において上司が部下に何か作業を依頼する状況で考えてみます。
家族とのコミュニケーションでも、同様だとは思いますが。)

暇そうだから、というニュアンスで作業依頼を受けた場合、以下いずれの場合でも、
受けた側は、自発的な意欲は湧いてこないのではと考えます。

実際は忙しい状況

忙しい状況なのに、この上司は全然自分を見ていない。
たいていは暇していると思われているのだろうか。
自分は下に見られているのだなぁ。

実際たしかに暇ではある状況

たしかに時間はあるけど、暇が理由で仕事を振ってきているのだよな。
自分でなくてもできる仕事なのだろうなぁ。
自分がやる理由ってどこまであるのだろう。

こんな感じでしょうか。全くもって、自発的な意欲が湧き起こってはこないと思います。

上司側はどう言えば良いのか

これこれをお願いしたいのだけど、
できるかな??
時間はあるかな??
ぜひ○○にやって欲しいとは思っているんだよ。
・・
相手がまず現状でも仕事を抱えている、やることはあるという前提のもと、
「できるかな?」のように疑問系で投げかける。
部下側に断る余白も持ってもらい、
やる・やらないも部下の口から言ってもらう。
これらのようなことが必要ではと思います。

部下自ら「自分で選択した」という状況を作ってあげることは、部下の自立性を
促せると思うのです。自己決定感とかってやつですかね。

自分がダメダメな上司から言われた時は・・

ダメな上司だな、部下の動かし方が分かってないな・・と飲み込むしか
ないですよね。上司の振る舞いを変えるって、とても難しいと思うので、
仕方ないです。

上司に対してやんわりやり方を変えてもらいたいとき、部下側からはどんな
アプローチがいやらしくなく、できるのだろう??
ここはもう少し考えてみる必要がありそうです。

何にせよ、相手の気持ちを想像するって、本当に基本にして難しい

何がしか言葉を発する時に、受けてがどう感じるかを、発するその前に考える。
人間関係を良くするためのごくごく基本とは思いますが、常に考えるのって難しい。

今回のようにある程度公式化できることは、文章にしてアウトプットしていこうと
思います。




またいつか、マスクをしない外出をしたいな、という思い

今日は、これからの未来、マスクの着用について社会のルールはどう変わっていくの
だろうかと、思いを馳せて見ました。

アメリカでは、ワクチン接種の普及後は、原則マスク不要の方針との報道。
米国、ワクチン接種完了者「原則マスク不要」 | 毎日新聞

また、勝間和代さんのメルマガを毎日購読しています。
勝間さんの考えでは、このような意見でした。
マスク着用が必要な時代はずっと続いていくのではないか、
なぜなら未知のウイルスに備える意味もあるし、インフルなどその他感染症
かかりづらくなることを証明したから。

私の感想としては、おそらく特に日本では、国民性的に、マスクをする外出が
普通になったままとなるのではないだろうか、と思った。
人からの目を気にするし、叩かれることを恐れてしまうから。

まだ議論が必要なのではと思いますが、私はコロナ前、マスクが必須でなかった時代が、
とても懐かしく感傷的に感じました。

マスクをすることの、特別感

あくまで自分の場合ですが、アマチュアレベルではあるが、バンドでボーカルアンドギターをやっていた。だから、喉を大事にするのがボーカリストだぜ、というイキリがあり、
大学時代は結構な頻度でマスクをしていた気がします。

マスクをしてギターを背負って・・練習スタジオに行ったりする時はなおさらにマスク。

そんな特別感が、今は義務感になってしまっているのが、少し物悲しくも感じました。

自分が生きているうちでなくても、テクノロジーには希望を持つ

きっと、遠くない未来に、量子コンピュータとバイオとの掛け合わせで、
未知のウイルスにもあらかじめ対処できるワクチンなんて、出来たら良いなと思った。

今回のコロナ向けワクチンも、コンピュータサイエンス、大量の演算を処理する
クラウドコンピューティングなど、IT分野のテクノロジーの発展があったこそ、
約一年余りでのワクチン開発完了となったという。
テクノロジーは、どんどん早く、大規模な人類の課題も解けるようになってきている。

ここには希望を持っていいと思います。
量子コンピューターは、ブロックチェーンや、電子証明書の暗号も解いてしまうと言われている。実用化した技術たちを一つ飛び越えて、さらに次のフェーズに進む大きな可能性を秘めている。AI技術とかけ合わさって、きっと感染症を無きものにし、ある意味
ビフォアーコロナの、マスクなしの生活に戻してくれたら良いなぁ。

頭のワーキングメモリの節約、それは生産性向上とミス軽減につながる

こんにちは。
結論、頭のワーキングメモリを節約することを考えることで、仕事のパフォーマンスにメリットをもたらせるという気づきです。
「頭のワーキングメモリを節約」とは、無駄な選択や判断を行わないことです。

知らず知らず、脳が無駄な作業をしている

本質的に意味がないような言葉の使い分けや、AでもBでもどちらでも結果が
変わらないようなことに、時間を使っていることって、あると思います。
それって、シンプルにまず時間の無駄だし、無駄な選択をしていることで
脳がわずかでも疲れていってしまっていると思うのですよね。

例えば、顧客の会社名を場面ごと呼び分ける必要、ありますかね?

思い至ったのは、業務において顧客の会社名を呼ぶ時ですね。
顧客先では、「A社様」「A社さん」と言う。
自社内では、「A社がさ〜」と、敬称を付けない。
文章上でも、同様に使い分けていることが多いと思います。

これって、敬称ありで統一しておけば良くないですか?という提言です。

理由は二つです。

  1. 使い分ける、書き分けることに無駄な判断をしている
  2. 顧客の前で、うっかり敬称なしの呼称、記載を出してしまうリスクがある

この例だと、2番目のミスのリスクを軽減できることも、メリットとして大きいと思います。
一度の失礼が尾を引いたりするので。

無駄なことに頭を使うのはやめて、創造的なことに頭を使いたい

スティーブ・ジョブズも毎日同じタートルネックにして服を選択する判断を
しなくて良くしていた、という逸話が確かありますね。
理由は同じです。

同じような頭のワーキングメモリの無駄、見つけては潰していきたいものです。

「国の借金は国民の借金」という考え方は正しい面と正しくない面がある、という意見

国の借金を国民一人当たりに換算すると○○万〜という情報には意味がない

結論、国民一人当たりの国の借金、という数値には意味はなく、
国民の不安を煽って増税のハードルを下げているだけ、と思った。
そして国民が国借金返済のために責任を負っているんだっけ??
という疑問に対しては、正しい面、正しくない面と両方あるのではないか、
と考え至りました。

NewsPicksで目についた記事について、自分なりに考えてみました。

※私なりの意見、考えが大半を占めます。あくまでこういう考えもあるのか、
程度にお読みいただければ幸いです。
https://newspicks.com/news/5834447/?utm_medium=urlshare&utm_campaign=np_urlshare&invoker=np_urlshare_uid5749001&utm_source=newspicks

国民一人当たりの金額には意味がない

まず、果たして一人当たりの金額を出すことに意味はないと思います。
例えば、家のローン、という例えを使いますと、
家族四人だから、4等分の借金だ、とはなりません。
夫婦で取り決めた配分があるだろうし、扶養家族は借金を背負ってはいないでしょう。

国の税収だって、所得が多い人からは多く取るし、法人税もありますし、さまざまな相手から、異なった配分で回収しているわけです。

日本を走っている車1台当たりの借金は〜という数字よりは、意味があるかもしれないが、
やはり、国民に借金を背負わせる錯覚を与えるための言い方と思います。

国民は、国借金返済のため協力する必要ってあるのだろうか?

経営者と会社員の関係と、政府、国民の関係で考える。(厳密には色々と違うと思いますが)
会社員は、自分のお金を払って会社の借金を返していく必要はない。
しかし、労働力を提供し、その先に得られる利益によって、会社に利益をもたらす、
その結果会社の借金返済につながる、ということはあります。

政府と国民の関係でも、この2面性があるのでは、と考えました。
国民が税金を納め、政府は公共サービスや社会保障を与えている。単なる金銭を介した契約とみなせば、国民が借金を負うことはありません。
しかし、国の借金返済が、国のGDP創出によって実現するのだとしたら、日本の経済を
大きくしていくのって、ある意味国民の義務ではないが、ミッションのようなものだ
とは思うのです。

とはいえ、国と人の関係って、単なる納税を介した契約になっていく流れなのかとは
思っています。
影響力のある個人のインフルエンサーって、どんどん海外移住していっている気がします。
国って、単なる公共サービス提供元として、個人が選択できる時代になってくるのだな、
そうなると、国民一人当たりの借金が、とう表現はなおさら意味が無くなっていく。
政府が工夫して、海外からも税金集められるよう考えてよね、というだけ。

正解は決めづらい議論だけど、少なくとも不安感の煽りは受けないリテラシが必要だ

何にせよ、こういった報道を見た時に、疑ってかかる、第三者の見解を見て勉強する、
という姿勢が大事と思いました。
NewsPicksだとコメントでいろんな意見が飛び交うのが良いです。

結論から話す技術が極まると、聞いている方は実に気持ちが良い

どこの新卒向けビジネス書籍でも書いてあることだけど

結論、「結論から話す」のはビジネスで重要。
まずはきっちり結論をビシッと言えなくとも、「結論から言うと〜」を
口癖にしていっていいじゃないか、という考えです。

聞く側は、実に気持ち良いのです。

結論から言うと〜の話し方が上手い人って、きっと周りに何人かいると思います。
率直に、聞いていて気持ち良いな、と思う時はありませんでしょうか?

言わんとしてることが正しく伝わるのに加え、相手が良い気持ちになってくるなんて、
、これは会社で歩くアハ体験になれる可能性を秘めている。

データ分析コンペのミートアップにて、すごく良い説明の方に出会う

コンペに取り組んだ人以外には、内容ははて?という感じになるかもしれませんが、
動画の後半、説明して下さっているのが、

Tomoya Kitayama さん。
@gamella
AlpacaJapan CPO

この方が、とにかくには「結論から言うと〜」を多用してくださり、とにかく分かりやすい&気持ち良いのです。
youtu.be

ちなみにコンペのフォーラムでも、おそらくAlpacaの運営側としてQA対応してくれて
いるのがKitayamaさん。(と、思われるが、違う方かも)

結論から入り、具体的には・・と具体例を示したり、なぜなら、と理由を補足したり
しています。ビジネス文書としてはすごく基本なのかもしれませんけども、
読んでいるだけでハッとするものがあります。

それだけ、実はできているとすごいスキルなのかもしれない。
f:id:EternalBlueBullet:20210511221819p:plain

というわけで、結論から言うと〜を口癖に、挑戦していこうという話でした

なかなか、結論になっていないことを言い出しちゃったりしがちですけど、
口癖にしていくことで、結論、理由、具体例、再度結論(PREP法)の思考が
磨かれていくと思います。

こういったベーシックなビジネススキルも備えた、イケてるデータサイエンティストになりたいですね。

コロッケを買ったのではない。コロッケと時間を買ったのだ。時間とお金を等価に考える。

自分の時間の価値、大事にしていこうという話です。

こんにちは。ヤスヤスです。

結論、自分の時間の価値を、1時間3000円(例えばの額で)と決めて、
買い物すべきかどうかを考える、ことのオススメです。

1時間を無駄にしたら、3000円を失うのと同じ

よく聞く話の例だと、50円安い野菜を目当てに、1時間かけて隣町のスーパーまで
買いに行くことは果たして得なのか??という議論ですね。

お金の増減だけを考えると、確かに50円節約できます。
しかしそれと引き換えに自分の1時間を失ってしまいます。
自分の1時間って、分かりやすく換金できるわけでないですが、金銭的な価値と
交換できる、価値あるものです。
勉強するでも、ゆっくり休むでも、家族と過ごすでも、それって実は
将来の豊かさにつながる時間になりますから、立派に価値を持っていると
捉えられると思うのです。

自炊をするべきか、おかずを買ってしまうかで、再認識

今回、自分時間の価値を測ることを再認識したきっかけは、
一人の晩御飯でした。

1時間ほどかけて自炊をするべきか、おかずを買ってきてしまうべきか。
(ちなみに、料理をすること自体はあまり娯楽と思えない方なので、
料理する時間は単純に失う時間と換算します。)

近くのコンビニにて、なんと3個で100円のコロッケがあるではありませんか。
私は買ったのです。
そう、100円でコロッケと、1時間という自分の時間を。

浮いた1時間は、多少ごろごろしながらも読書に使えました。
意味のあることに時間を使えたならば、それは将来への投資。
自分の時間が「浪費」になることから、「投資」になったのですね。
(料理作るのが好きな人には、本当にごめんなさい・・)

買い物における意思決定で、すごく便利です。

ドラム式洗濯機を買うべきかどうか、これもこの考え方を使いました。
通常の洗濯機と比べ1時間浮く × 月に10回洗濯 とすると10時間。
月に30000円分は自分の時間が浮きます。

ドラム式の値段は最新機種でも30万ほどでしたので、およそ10ヶ月使えば
回収できるな、という計算になります。

ぜひぜひ、自分の時間を無駄にせず、自己投資していくのが良かれと思いました。

無料のGIVEを100回繰り返した先にある1のリターン 〜イケハヤさんのvoicyから学ぶビジネスの本質〜

個人の情報発信がビジネスになることの難しさを学ぶ

こんばんは。今日は、イケハヤさんのvoicyでの発信を聞いて、
自分なりに考えたことを書き連ねていきます。

voicy.jp

結論、私が得たことをまとめると3つになります。

1. 無料の情報発信を繰り返した先で、やっとお客さんはリターンを与えてくれる
2.得られるリターンは、お金かもしれないし、自分への信頼かもしれない
3.一般人の情報発信では、例えばお客さんからのリターンは得られずとも、発信すること自体が自分への自己投資になるよう活動を設定すべきでは。

1. がvoicyでおっしゃられていたことのニュアンスほぼそのまま、
2,3,は自分なりに咀嚼して考えた気づきになっています。

ざっと、どういうことか、説明を加えていきます。
少しでも、主に会社員で副業に挑戦し始めたばかりのような方(まさに今の自分)
の参考になったら幸いです。

1.無料の情報発信を繰り返した先で、やっとお客さんはリターンを与えてくれる

モノを売るなり、サービスに登録してもらうなり、というお客さん(情報の受け手)
からの何らかのリターンを得るには、とにかく無料無料無料・・!の情報発信を
繰り返して、やっとのこさでたどり着くんだよ、というお話。

私の感想としては、シンプルに
「イケハヤさんのような影響力があっても、基本に忠実にというか、GIVEしまくって
やっとリターンを得るという考え方をしてるのか・・。そりゃ、名もない一般ピープル
もっとGIVEしまくらないと誰もモノを買ってはくれるはずがない・・」

素人が突然アフィリエイトのリンクを世に放ったって、誰も見向きもしません。
どんなに有名になろうと、コストの大小はあれ、地道な発信を積み重ねて、
やっと利益に辿り着くというプロセスって、変わらないのだな、と思いました。

2. 得られるリターンは、お金かもしれないし、自分への信頼かもしれない

ブログを続けた先に、得られるリターンで考えますと、
先にあるのは、お金かもしれないし、信頼かもしれないし、もしくは両方かもしれない、
と思いました。

何を言いたいかというと、目的を見定めて情報発信しないと、自分が得たいものと、結果に
乖離が出るのでは、ということです。
目先のお金が欲しければSEO対策をガチガチにしたアフィリエイトサイトを作り込んでいくのが良いかもしれない。
人間的な信頼や、コミュニティを得て感情的に豊かになりたいなら、有益な情報を発信し続けて、ファンを増やすことかもしれない。

ここを考えて行動すべきだな、と再認識しました。
自分はもちろん後者で行きたいが、どこかで、マネタイズもできてくるタイミングが来れば、グッとモチベーションも上がりますし、得た金銭を有料の情報に投資することで、
思考も深められ、発信する情報の質も上がるんだろうな

3.一般人の情報発信では、例えばお客さんからのリターンは得られずとも、発信すること自体が自分への自己投資になるよう活動を設定すべきでは。

結局、名もなき一般人の情報発信は、お客さんからのリターンに辿り着くかは分からない。
イケハヤさんですら、無料の発信という投資、リスクを取って、結果リターンを得ているわけですからね。一般人が成功できる確率はグッと下がるでしょう。

それならば、例え誰からもリターンが得られずとも、自分の中で、学びとして自己成長に
つながる活動にすべきだ、という気づき。
ブログの内容的に、ライティング、ニュースを見て考える習慣、読書をしてインプットする習慣、これらが付随してついて来れば、自分の価値は上げられます。
サラリーマンの本業で立派に生かせるビジネススキルになってくるわけですね。
いわば、他人からリターンを得られなかった時の保険みたいな位置付け。

つらつらと書き連ねましたが、これらを仮説として継続して取り組むしかないな〜

副業には全くの素人サラリーマンでございますが、
考えたことを自分なりの仮説として、自分自身の行動で検証していきいますよ〜。
というわけで、私のフィルターを通してビジネス寄りの雑記を今後とも
書き連ねていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。